資本効率を考える【伊藤レポートとは何だったのか?】

企業価値の向上

伊藤レポート

2014年に経産省からROE8%を目標水準として掲げた伊藤レポート(注)が発表され話題となりました。すでに古くなりましたが、資本効率についての提言は、今も資本政策を考える上で参考になると思いますので、簡単にまとめました。

注.伊藤邦雄一橋大学教授(当時)を座長とした経産省の報告書
  ちなみに続編の伊藤レポート2.0は空振りでした

資本主義とは何か?

P.6 基本的な問題意識とメッセージ
「資本主義の要諦は労働配分率にも配慮しながら、資本効率を最大限に高めることである。」

企業は誰のものか、企業は利益だけ追求すればいいのか、といった議論ではなく、資本主義の仕組み、働きは、『資本効率を最大限に高めること』だという説明です。

資本効率とは何か?

資本コストを下げ、ROEを上げること(ROE=当期純利益/自己資本(BS上の簿価))。
ざっくりいうと、資本効率を高めるとは、資本の調達コストを最小限にし、調達した資本で最大限稼ぐことです。
資本効率を高めるというと、BSの自己資本を小さくし、利益を大きくする、という側面ばかり注目されますが、伊藤レポートでは、資本コストを下げることも重視されています。

資本コストを便宜上、「資本の調達コスト」と表現しましたが、一般には以下の式で表されます。
資本コストの計算式(WACC)
資本コスト=負債比率×負債コスト×(1-法定実効税率)+株主資本比率×株主資本コスト

借入と資本を「資本」とし、それぞれの割合で「コスト」を合算します。
負債コストは支払利息なので、まさに「資本の調達コスト」です。伊藤レポートが注目しているのは、株主資本コストについてです。株主資本コストは、株主の「期待」であって、株主還元しなければ実際にはコスト(支出。株主との取引なので会計上の費用ではない)は発生しませんが、「期待」=「コスト」と考えます。

株主資本コストを下げるためには、事業についてより投資家に理解してもらい、株価へのリスクの織り込みを減らします。より投資家に理解してもらうための『対話』を通して、資本効率に対する経営陣の『コミットメント』と投資家側の『期待』を明確化することで理解不足による株価へのリスクの織り込みを減らします。

伊藤レポートで株主資本コストに注目しているのは、株主資本コストを下げるための『対話』のプロセスが企業価値向上に資するというとらえ方をしているからです。

ちなみに、『対話』の実効性を担保する仕組みとして、資本効率の数値基準による投資家側の取締役選任の議決権行使があります。企業と投資家のコミュニケーションを通し、投資家の『期待』に対応した企業の資本効率に対する『コミットメント』が明確化されますが、この『コミットメント』の結果に対し、投資家の議決権行使が機能することで実効性が担保されます。

投資家の議決権行使について、基準と実績が、現在、どうなっているのかについては、別の記事でまとめていますのでよかったら読んでみてください。

株主資本コストの計算式(CAPM)

株主資本コスト=リスクフリーレート+ベータ×マーケットリスクプレミアム
・リスクフリーレートは、安全な資産に投資した際のリターンのことで、国債を使うことが
 多いです。
・マーケットプレミアムは、株式市場に平均的に投資した場合に安全な資産に上乗せされる
 リターンのことです。
・β(ベータ)値は、マーケットに対する個別株式のリスク・リターンの大きさで、株価へ
 のリスクの織り込みとなります。

β=(マーケットポートフォリオと個別株式の共分散)÷マーケットポートフォリオの分散
マーケットポートフォリオを\(x\)、個別株式を\(y\)とすると、
マーケットポートフォリオと個別株式の共分散=\(\frac{1}{N} \sum_{i=1}^{N}(x_i-\bar{x})(y_i-\bar{y})\)
マーケットポートフォリオの分散=\(\frac{1}{N}\sum_{i=1}^{N}(x_i-\bar{x})^2\)
となり、βは以下となります。
\(β=\frac{1}{N}\sum_{i=1}^{N}(x_i-\bar{x})(y_i-\bar{y})\div \frac{1}{N}\sum_{i=1}^{N}(x_i-\bar{x})^2=\frac{ \sum_{i=1}^{N}(y_i-\bar{y})(x_i-\bar{x}) }
{ \sum_{i=1}^{N}(x_i-\bar{x})^2 } \)

資本コストは現時点の期待値・ROEの資本は過去の取得価額

資本コスト
資本コストは現時点の期待値です。

ROE
ROEは、資本に対してどのくらい稼いだか、という実績になりますので、利益も実績、資本も実績(=調達時の価額(過去の時価。簿価)+利益累計)になります。
(筆者の意見)
ROEは、期首にすべての資本を調達していれば資本により稼いだ年額としてすっきりしますが、資本の入替を長年していない企業のROEはあまり意味がないと思います。(例えば30年間資本に動きがない場合、『30年前』に調達した資本(+利益累計)で、『現在』いくら稼いでいるか、にはあまり意味はありません)
自社の資金需要、マーケットの状況により、随時、増資、自社株買い、十分な配当を繰り返すことで資本が時価で入れ替わっていくとROEは意味を持ってくるのではないでしょうか。

(参考)減損会計で使用する資本コストの注意点

減損損失の測定で、使用価値の算定を行う場合に使用する将来キャッシュ・フローには、税金費用は勘案しません【基準5】。なので、減損会計で使用価値を算定する割引率に資本コストを使用する場合【指針45資本コスト以外も可】は、税引前になります【指針43】。
資本コストは『資本』がベースなので、純資産へ加減される額(=税引後)で考えており、税引前将来キャッシュ・フローに対しては税引前に調整する必要があります。

資本コストを税引前に調整して割引率を設定します。
割引率=資本コスト/(1-実効税率)
固定資産の減損に係る会計基準の適用指針 設例6

減損会計の割引率の設定に使用する資本コストは、資本コストを税引前に調整したものです。混乱しないようにしましょう。

(参考)投資計画のハードルレートで使用する資本コストの注意点


また、投資計画で設定するハードルレートに資本コストを使用する場合、営業利益段階で設定されるハードルレートならば資本コストを税引前に修正する必要があることにも注意しましょう(減損と同じ)。

うちの会社では、普段、資本コストなど意識していないのに、経営計画を作成する部門の意識高い人が、「資本コスト重要だよ!」と投資計画のハードルレートにしていましたが、投資計画の営業利益に対して、経営計画に載せている(税引後が前提の)資本コストをハードルレートに設定(本来より低く設定)していました。
その後の様子をみていると、誰も『ハードルレート』の検証はしておらず、『これ、おかしいだろ?』という声も上がらず無害だったので何もいいませんでしたが、それはそれで『大丈夫か?うちの会社』となりました。

ROEを高める

P.13 要旨
「中長期的なROE向上を経営の中核目標に」

そのままです。中長期的なROE向上を経営の中核目標にしましょう、ということです。

資本コストを低下させる

P.13 要旨
「資本コストの上昇は企業価値にマイナス要素」
「資本コストには、経営陣のコミットメント、情報開示や投資家とのコミュニケーション、将来の不確実性リスク等が総合的に反映される。」
「投資家との建設的な対話・・・が資本コストの低下につながるという意識を持つことが重要」

伊藤レポートでは、資本効率を高めるために、ROE向上と並んで、資本コストを下げることも重視されています。資本コストを下げるためには、借入金割合を高める(低金利が前提)とともに、株主資本コストを下げる必要があります。
株主資本コストは、株価が大きくぶれるとベータが高くなり上昇しますので、株価を安定させると下がります。『株価がぶれるのは投資家に企業に対する理解が不足しているから』と考え、『投資家に企業をよく理解してもらう』ことが資本コストを下げる対策となります。

ROE8%にこだわる必要はない(筆者の意見)

P.13 要旨
「グローバルな機関投資家が日本企業に期待する資本コストの平均が7%超との調査結果」
「ROEが8%を超える水準で約9割のグローバル投資家が想定する資本コストを上回る」

⇒「個々の企業の資本コストの水準は異なるが、グローバルな投資家と対話をする際の最低ラインとして8%を上回るROEを達成することに各企業はコミットすべきである」

筆者の意見
企業価値を高めるには資本コストとROEの差を広げて資本効率を上げることが重要です。
自社の資本コストが平均より低いことを説明できれば、必ずしも日本企業の資本コスト平均を超えるROEにコミットメントする必要はありません。

また、有名なROE8%は、当時の調査による資本コストの平均を超えるROEの水準、ということで、現在の水準ではありません。
ROE8%にこだわる必要はありません。

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